ブログを始めたはいいものの、インドネシアで休学中という意味がいまいち明確でないので、まず留学から休学にかけての経緯をまとめておきます。
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自分は文化人類学専攻の大学生です。
2013年の8月、大学3年の夏から、交換留学生としてインドネシアはジョグジャカルタにあるガジャマダ大学(Universitas Gadjah Mada, 以下UGM)に留学させてもらっていました。
インドネシアを選んだのは、専攻から考えて一番面白そうだったからです。インドネシアについての文化人類学的研究というのが比較的多くあり、ほかにも民族の多様性、イスラーム教徒が8割というのに惹かれて、じゃあいっちょラマダンでもしようと思いたちました。
語学については現地でインドネシア語の履修可能とされていて最低条件はクリア、両親と親戚からは心配はされつつも反対はされず、またおそらくUGMへの応募者が一人しかいなかったので、晴れて交換留学生になりました。1年間がんばります!といって日本を出たのが、だいたい9か月前のことです。
しかしUGMでの講義は1学期間しか受けず、2学期目が始まってすぐ(たしか2日目)に留学中止を決意し両大学と相談、2014年2月末に留学中止の許可がおりて、残りの半年弱は休学してインドネシアに滞在することにしました。
なぜ留学を中止したかというと、率直に言えばUGMでの大学生活が充実していなかったからです。UGMはインドネシアで一位二位を争う有名大学ですが、実際のところは学部によっての格差がはげしく、文化人類学科のある人文学部(Fakultas Ilmu Budaya)は受け入れ準備が全くできていなかったのです。まず事務も講義もすべてインドネシア語、各種手続きは不透明で事務方のミスが多く、講師も学生も遅刻があたりまえ、突然の休講もあたりまえ、履修届を提出しても処理されておらず、テストを受けにいったら入室拒否という悪質なイベントもありました。はじめのうち講義には新鮮なものがありましたが、なにかにつけドメスティックなのがじわじわとダメージになります。学科の雰囲気には正直なじめませんでしたが、学生さんは穏やかな性格の人が多くて、なにかと助けてもらって感謝しています。
結局のところ取得単位数は少ないですが、語学学校にも週5で通い受験期かというくらい頑張っていました。最初にインドネシア語のペーパーを出せた時と、2人組でのインドネシア語プレゼンがおわった時は、きっと次はもっとマシにできる!まだまだ頑張らねば!と思ったのを覚えています(ちなみにプレゼンは8割方ペアだった日本人の友達にフォローしてもらってました)。
そんなわけでテスト入室拒否にもめげず、むしろ目安箱に意見書を提出し、2学期目の履修手続きはしっかりやりました。しかし初週は相変わらず休講ばかり、新しい留学生が期待にきらきらしているのを見て、ようやくもう潮時かなと気づきました。いくら自分が頑張ったって来ない教授は来ないし、仕事をしない事務員は仕事をしない、意味論ゴリ押しの座学にも辟易しました。
※UGMでも経済学部、法学部や社会政治学部などは事務もきちんとしているので(日本でいうところの普通)、そこで留学するのは良い経験になると思います。それと外国人向けのインドネシア語コースINCULSは、インドネシアの生活をゆっくり味わいつつ他の留学生とも仲良くなれるようで、勉学よりも海外生活自体に重きをおく場合には手頃なコースのようです。楽しそう。
そうして2014年2月末から3月にかけてはイミグレやら大学やらの手続きでばたばたして、4月に入るころからは準ニートとしてきわめて充実した生活を送っています。
読みたかった文献を読んだり友達に会ったり旅行の計画をたてたり、とかく自分のことで手一杯だったのですが、旅先で会った子に諭されて旅行のことを書き留めておくことにしました。
インドネシア旅行だけでなく、以前の海外旅行のこと、ジョグジャカルタでの生活のこと、あれやこれやも書き終わったら、インドネシア語訳もつけることになっています。どこまでできるものか分かりませんが、とりあえずはラマダンまでに現在地に追いつくことを当面の目標にしておきます。
@Da Nang, Vietnam
いしいちゃんそんなことになってたのね。お疲れ様です。
返信削除8月から10月はマニラにいるので、時期が合えば遊びに来てねー。
そんなことになっていました!マニラ行きたいです、時期が合ったら善太さんがどんなことになっているか確かめにいきますね!
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